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yokitty和田吉元
http://yokitty.co.jp/

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yokitty和田吉元

僕が東京に来てすぐ知り合った人です。
それからすぐNYに行ってしまいましたが。
でも、NYから帰って来るとここまで怪しげな風貌になっちゃうわけ!?
NYというよりインドから帰って来た感じは一体。
と、久々の再会で正直驚愕してしまったわたくし。。。
がしかし、その風貌とは裏腹にイノセントな感性から生み出されるセンスで、日本でも富永愛やEXILEなど有名芸能人からもご指名で、多忙な毎日を過ごす和田さん。
NYでもUS VOGUEやレッドカーペットの世界で生きる和田さん。日本人がレッドカーペットの世界で仕事してる人って少ないでしょ?
ミーハー心も加味して想像を膨らましながら話を聞いてみました。

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和田さんがNYに移住した1996年当時は華々しいスーパーモデルブーム。
それと共にアートディレクターやカメラマンなどの
有能なクリエイティブ職のスター輩出も多かった時代。
当時、尊敬するメイクアップアーティスト、ケヴィン・オークィンと
JED ROOTに才能を見いだされ、NYで活動をスタート。
※JED ROOT=現在も彼のアメリカのエージェントとして所属
-ケヴィン・オークィンって…
資生堂のクリエイティブディレクターも務められた、、あの方??
当時のバックステージはどんな様子だった?

「先生の仕事に同行するとショーのバックステージに
ジュリア・ロバーツやドリュー・バリモアが入って来たりと
それはそれは華やかで。
またマドンナからティナ・ターナーなどのビッグネームの仕事が同時にあって。
オードリー・ヘップバーンやエリザベス・テーラーなど
往年の大女優にもお会いしたりと。
アシスタントですが忙しい毎日ですがキラッキラとした楽しい思い出です。」

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またNYを目指したのはどうして?
日本でも充分な仕事があったのに。

「20 才の時から勉強も兼ねてNYや欧米、アジアなど気が向くところに
旅するようになり、いつの間にか感性も磨かれたんだと思います。」
94年にスーパーモデルブームが始まった頃、
US VOGUEのファッションやビューティーに感化され、
所属する事になるアメリカの事務所に直接連絡して面接に行ったんです。
そこで面接に行った事務所の社長から貯金して来い、
と言われ所属が決まり96年にアメリカに拠点を移しました。
NYに住むきっかけは良い美術館も良いレストランも
セックス・アンド・ザ・シティにも登場する有名百貨店の
※SAKS FIFTH AVもあるNYが大好きで。
それまでは実際に渡米するまで年3ヶ月くらいNYに滞在する時期が何年か。
その時たまたま友達からそんなにNYが好きなら何でNYに住まないんだ?
と言われ、あ、そっか、と。
思い立ったら素直に行動するクセがあるみたいです。

yokitty和田吉元

街に魅かれたのが最大の理由なのね。
仕事でもスケールが全く変わって来るし、大きな魅力だったんでしょう。

yokkity和田吉元

そして、ハーブ・リッツ、リチャード・アヴェドン、ジル・ベンシモンら、
一流ファッションカメラマンの被写体となったことでも知られ、
90年代のスーパーモデルブームを牽引し、
USヴォーグの表紙を14才で飾ったステファニー・シーモア。
彼女が38才の出産後初めての復帰作で出会う。
以降アメリカンヴォーグが毎年春にメトロポリタン美術館で
開催するコスチュームインステートガラに出席する為のメイクを手掛ける。

「ステファニーを紹介された時にプリティガールをもっとプリティーに
してくれるコがいるんだけど、と紹介されて。
彼女と仕事する時に言われるのがmake me beautful
あたしの顔はキャンバスだから、と。
そして撮影などでメイクを直す時必ずお礼を言われます。
これは独特のセレブリティマナーで、
仕事をして来たトップモデルの方々は必ずこの言葉を備えてます。
日本人でそれを備えているのは富永愛さんとTAOさんですね。

スーパースター達との出会いと仕事は僕には大きなダイヤモンドが歩いてる様に見えました。

ファッションの他にミュージックPVとかの仕事も印象深い事がありますね。
あの頃のミュージックシーンはファッション共にカリスマ性のあるスターもたくさんいたし、
CDセールス自体も今とは比べ物にならない時代でしょ?

「99年にラテンロックのスーパースター、
カルロス・サンタナのSUPERNATURALというアルバムがリリースされましたが、
グラミー賞9部門獲得したSmoothという曲の
PV撮影の仕事を依頼されて。
当時カルロス・サンタナの偉大さも知らず撮影に向かいました。
その時にスーパースターという大きなダイヤモンドの輝きとは
こういうものだと感動しました。
以降50centやネリーなどの仕事も手掛けるようになったんです。」

渡米前、1984年メイクとヘアのアーチストとして活動をスタートした和田さん。当時カルチャークラブやワム!、デュラン・デュランなどの
イギリスロックが世界的にもブーム。
その当時来日したブライアン・フェリーを担当したのが最初の仕事。
ぶっつけ本番とはいえ18才の若さで華々しいデビューを飾り、
以降様々なファッション紙やタレント、広告を幅広く手がけてきた。
その後の渡米で更に活躍の場を世界へと拡げて行く。

やられた、人は外見によらず。
キレイになりたいのと美を作り出すのはベクトルが違うのね。
自由なNYで生活して来た和田さんは日本でコスメアイテムもリリース。
後編は日本人やアジアのメイクの面白さと、
その視点から生まれたオリジナルメイクアイテムを紹介します。


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