このエントリーをはてなブックマークに追加

B75b20181563b9a93704a2372477215b
Blank

前編

2006年にジュエリー・ブランド、TiTiを立ち上げられた八巻さん。今回はいよいよファッション・デザイナーとしてデビューされました。
まずジュエリーを始められたのは、どんなきっかけだったのですか。

bg_bimajinStory-flower-iconインドでジュエリーデザインの賞をいただいたんです。
当初はエストネーションに商品を出しました。その後、銀座三越のオープン時(2010年)に出店依頼があり、三越伊勢丹さんとの百貨店のお取組みがスタートしました。その後、ジュエリーは伊勢丹、日本橋三越の方での展開を続け、和装小物は、銀座三越に出店して以降お取り扱いいただいています。

20140303magazine_main_bimajinStoryVol19_01

もの作りを始める原点はどこにあったのでしょうか。

bg_bimajinStory-flower-icon母親がデザイナーで、東京で洋裁店を開いて、連続ドラマの『カーネーション』の世界のように育ちました。3歳くらいのときからハサミをもたされていました。今もお箸をもつよりもハサミをもつほうが得意なくらいです(笑)。

職業としてはどんな経緯ですか。

bg_bimajinStory-flower-icon短大を卒業して一番最初に入ったのは大手の証券会社だったんですよ。母がデザイナーで、この業界が大変なことはわかっていたので、その頃は他の道に行こうと思って。その会社ではすごく良くしてもらったんですけど、ある日、大好きだった会社の先輩が「毎日、変わらない淡々とした仕事だから、いい」というようなことをおっしゃったんですね。その言葉を聞いた次の日に、私は辞表を出しました。

繰り返しの生活が耐えられなかったんでしょうか。

bg_bimajinStory-flower-icon当時はそう思ったんでしょうね。
毎日感激していたい。若いころからそんなことを思って生きてきました。
そんな思いと、80年代のデザイナーブーム到来の兆しも伴い、ファッションへの原点回帰があった気がします。
 その後、一からスタートしようとエスモードという服飾専門学校に入りました。
 80年代は日本のバブルだけでなく世界的に好景気の時代でした。
ファッション業界でも、クリエイティブなデザイナーたちが、多くのデザイナーが、様々な時代やカルチャーをテーマにこぞって作品を発表していました。エスモードに入って間もなく、勉強の為に本場のファッションショーを見たくなり、繊研新聞でパリコレのポジフィルム整理のアルバイトをしながら自費でロンドンコレクションやパリコレクションに行くようになりました。
 当時のロンドンはパンク一色で、刺激的でしたし、パリはクリエイティブ全盛期で日本人のデザイナーブームも到来してきていました。ファッションを通して写真、アート、音楽、映画、文学など、クロスオーバーしていくクリエイティブを必死に吸収していました。

そこでどんなふうにチャンスをつかまれたのですか。

bg_bimajinStory-flower-icon頻繁にパリコレに顔を出していたから、そのうちジャーナリストに顔を覚えられるようになって。そのときにプレスの仕事も紹介されて、デザイナーではないけど、引き受けることにしたんです。日本でもデザイナーズ・ブランドのブームが全盛になり始めていた時期だったので、デザイナーになるのはすごく狭き門だったんですよ。
 同期の子達よりも年上で、そんなに遊んでられないなと思っていましたし、学校ではあまり生きた勉強はできないとわかってきたんです。そういう経緯もあって先ずは現場と、いうこともあり、プレスの仕事に就きました。それから、安部兼章さんのところに行ったんです。安部さんのところはもう本当に小さいメゾンだったからプレスの仕事だけじゃなくて、それ以外のことも色々やっていて。

でも、それはかえって環境としては良かったのかもしれないですね。仕事の流れも全部見ることができますし。

bg_bimajinStory-flower-iconはい、とても良かったです。東京コレクションをはじめ、撮影や展示会まで全部自分たちでアレンジしなきゃいけなかったから、色んな経験をすることができました。先輩達もみんないい人で、楽しい思い出ばかりでした。毎日深夜まで働きづめでも流行りのクラブなどに遊びにいったりしていました。

TOKIO KUMAGAIに行ったのはその後ですか。

bg_bimajinStory-flower-iconはい。(熊谷)登喜夫さんが亡くなられた直後、イトキンの役員の方に呼ばれて、やらないかという話になって。そこで現在は夫である永澤(陽一)と知り合ったんです。

その頃のTOKIO KUMAGAIのデザインは、もう永澤さんがやられていたんですか。

bg_bimajinStory-flower-iconパリを本拠地にするTOKIO KUMAGAIのデザインは、主力のシューズをはじめ、衣料品まで全部彼がやっていましたね。そこで3年ぐらい働いたんですが、バブルが崩壊した後で、デザイナーズ・ブランドってもう成り立たなくなりつつあったんです。亡くなったデザイナーの登喜夫さんのブランドイメージを継承しつつも、やりたいことがやれなくなっていた。永澤は、飛行機の搭乗回数が年150回を超えるほどで疲労がたまり、もういっそ二人で独立しようと。とはいえ、独立してしばらくは人も雇えなかったから、ほとんどの創作を2人で手がけることになって。

それで、永澤さんの片腕になったわけですね。

bg_bimajinStory-flower-iconデザインは永澤にまかせて、私はマネージメントに集中するという道もあったんですけど、やっぱり私もモノを作る方が好きだったからなんでもやりました。

これまでのお話を伺っていると、八巻さんは元プレスというよりは、最初からデザイン畑にもおられたんですね。

bg_bimajinStory-flower-icon小さい頃から、母親から色々デザインのことを仕込まれてもいましたし。中学生になる頃まで、すべて母の手作りで、既製の服を着ることがなくなったんですよ。でも、マクレガーのスイングトップが流行ったときに、ああ、こういうのが着たい、と反抗しました(笑)。

アイビーが着たいと(笑)。

bg_bimajinStory-flower-iconそうそう(笑)。兄の友達がモデルをやっていて、その人から制服をもらったりしていたから憧れがあって。そこからはもうアイビールックになって、母の仕事は少し手伝うくらいになっちゃったんです。私はもう違う道を行こうと。それで女子大に行って、野村証券にも入ったんだけど、さっき言った通り、辞めてしまって。

辞めた後、服飾の道に進んだのは、やっぱりお母さんの影響ですか?

bg_bimajinStory-flower-icon母の影響はとても大きいですね。でも、そのことに気付いたのは45を過ぎてからです。

例えば、洋服のディティールとかも、お母さんの好みに似ていたりするんでしょうか。

bg_bimajinStory-flower-icon今は母の分身かもしれないなって思うくらい影響を受けてますね。例えば私は「ティファニーで朝食を」とか、ヒッチコックの作品などの昔の映画の世界感がすごく好きなんですけど、思い返すとそれらの映画って子供の頃に母と一緒に観ていたものなんですね。

20140303magazine_main_bimajinStoryVol19_02

その時代の洋服って、現在から見るとクラシカルでエレガントなものが多いですよね。ジバンシィとか。

bg_bimajinStory-flower-iconまさに、当時のヘップバーンが着ていた50年代から60年代初頭のジバンシィには影響を受けていますね。雑誌も、VOGUEというよりは、わかりやすいELLEGANCEが好きで。

当時、ELLEGANCEのスタイルブックってありましたよね。広告が一切入っていない。オーダーメイドの服屋さんが多い時代だったから、みんなそのスタイルブックを見てオーダーしたりしていて。

bg_bimajinStory-flower-iconまさに、その本を見て母親はデッサンを書いてました。中原淳一さんとか長澤節もすごく好きで、本を横に置いてデッサンしろって母に言われたりもしましたよ。私も「それいゆ」はずっと好きで。今も大事に保管しています。

八巻さんが自分の名前で、洋服のデザインを大々的にされるのは今回が初めてですよね。

bg_bimajinStory-flower-iconやっぱり洋服がやりたくなりましたね。実は3年くらい前から思っていたんです。ファッション(衣料品)が私の骨格みたいなものなので。

洋服となると、動く人の数やお金の額も大規模になりますよね。ご主人は応援してくださっていますか?

bg_bimajinStory-flower-iconそうですね。彼はいま、違うことに目を向けていて、だからこそ始められた所はあります。私が今やっていることは、個人的な作品に近いものだと思うんです。でも、彼がいまやっていることは、何千億ものお金を動かして、国内外含め中国市場までを相手にするようなビジネス。スケール感も構造も私のいる世界とは全然違う。だから、反対に私は小さくても自分の好みにフォーカスしようと思えたというか。
 彼自身も、自分のブランドでは実験的なことを繰り返してたので、そういう世界も好きなんですよ。応援してくれていて、ありがたいと思っています。

20140303magazine_main_bimajinStoryVol19_03

前編終わり

(撮影:上平庸文 / インタビュー:森 綾)


Writer: 森綾のアイコン森綾

このエントリーをはてなブックマークに追加

Others By

チョークアートからキャンドルアートまで、新しい才能を発信! 松下萌子さん【後編】
Blank

Bimajin Story / 2017/03/29

全日本国民的美少女コンテスト出身、世界へ羽ばたくチョークアーティスト 松下萌子さん【前編】
Blank

Bimajin Story / 2017/03/22

得意の料理で体調管理と体型維持しています 中川知香さん【後編】
Blank

Bimajin Story / 2017/03/08